長谷川一家と出会ってから、僕の生活は大きく変わった。
父は晴美さんと再婚し、僕は下北沢を離れて中野で暮らすことになった。
一人っ子だった僕は、突然五人兄弟の長男になった。
もちろん最初は戸惑った。
家の中に、いつも誰かがいる。
誰かが喋っている。
誰かが笑っている。
それまで暮らしていた六〇一号室とは、まるで別の世界だった。
今ならわかる。
あの頃、夜になると鳴っていた無言電話。
母や僕が出ると無言だった。
でも父が出る時だけは違った。
小さな声で何かを話している。
そして電話を切ると、
「ちょっと出てくる」
と言って家を出た。
その頃の僕には意味がわからなかった。
ただ、大人たちの世界で何かが起きていることだけは感じていた。
今になって振り返れば、あの電話の向こうにいたのは晴美だったのだろう。
中野の家は古い二階建ての借家だった。
一階には台所と小さなテーブルがあり、テレビも置かれていた。
風呂とトイレも同じ階にあった。
隣の部屋は父と晴美の部屋だった。
二階へ上がると子供部屋が二つある。
右側の六畳が男の子部屋。
左側の八畳が女の子部屋だった。
決して広い家ではない。
でも不思議と嫌ではなかった。
誰かの気配がいつもある。
階段を上がる音。
台所で鍋の蓋が鳴る音。
テレビの笑い声。
風呂の音。
一人っ子だった僕には、その全部が新鮮だった。
拓也は僕より三歳下だった。
元気で負けず嫌いだった。
初めて会った時から、僕に対抗心を燃やしていた気がする。
二階の部屋では、よくボクシングごっこをした。
僕は昔からボクシングが好きだった。
その影響を受けたのか、拓也もどんどん夢中になっていく。
グローブまで買っていた。
もちろん、その頃は僕の方が強い。
でも拓也は何度やられても向かってくる。
なんとか一発当てたい。
そんな顔をしていた。
殴られても立ち上がる。
悔しそうな顔でまた向かってくる。
その負けん気の強さを、今でも覚えている。
後に拓也は協栄ジムへ入門し、日本フライ級一位になる。
チャンピオンには届かなかった。
その頃の拓也は、まだ僕の弟分みたいな存在だった。
真由は可愛かった。
最初に会った遊園地の時からそう思っていた。
もっとも、それは恋愛感情というより、妹ができたような不思議な感覚だった。
ただ、高校生になった僕は女の子という存在を強く意識する年頃でもあった。
ある日の夜、真由が風呂へ入った。
この家の風呂には脱衣所がなかった。
僕は何気なく風呂の方を見た。
もちろん何も見えなかった。
だが風呂から出てきた真由は明らかに怒っていた。
その瞬間、全部ばれていたことを理解した。
今でも真由には、いつかちゃんと謝らなければいけないと思っている。
そんな新しい家族との生活が始まった頃、僕は高校生になった。
進学先は日本大学第二高等学校。
通称、日大二高だった。
中野の家から自転車で二十分ほど。
早稲田通りをまっすぐ走れば着く。
電車で行くよりずっと早かった。
高校受験は大成功だった。
日大二高。
日大鶴ヶ丘。
芝浦工大附属。
受けた高校はすべて合格した。
その中で一番偏差値が高かったのが日大二高だった。
だから選んだ。
バレーボールをやりたかったからではない。
ただ、一番良さそうだったのだ。
入学式の日、晴美は着物を着ていた。
僕は少し照れくさかった。
でも、その姿は今でもよく覚えている。
知らない土地。
知らない友達。
知らない学校。
そして新しい家族。
高校生活は、すべてがゼロからのスタートだった。
高校へ入ると、二中から上がってきた連中の結束は強かった。
二中と二高は同じ敷地にある。
先生も同じ。
校舎も同じ。
内部進学の生徒たちにとっては勝手知ったる学校だった。
一方の僕たち外部受験組は完全な新参者だ。
誰が誰なのかもわからない。
学校のルールもわからない。
最初は少し肩身が狭かった。
一年生の時は、たしかG組だったと思う。
そこに座京寺という二中上がりの生徒がいた。
お寺の息子で、野球部だった。
ある日の英語の授業。
先生が言った。
「人の名前にはTheはつけない」
その瞬間だった。
座京寺くんが大声で叫んだ。
「ザキョウジ!」
教室は大爆笑になった。
先生も笑いをこらえている。
本人は真面目だったと思う。
だから余計に面白かった。
人の話なのに、なぜか今でも覚えている。
僕は迷わずバレーボール部へ入った。
仮入部の頃、先輩たちは優しかった。
帰りに駄菓子屋へ連れていってくれる。
パンやジュースをおごってくれる。
いい部活だと思った。
ところが本入部になると空気が変わる。
当時の運動部は、それが普通だった。
同期は最初十人近くいたと思う。
一人辞める。
また一人辞める。
最後には六人ほどになった。
三年生が引退し、一、二年生だけの新チームになった頃だった。
昼休み、一年生は部室でボール磨きをする。
その日も僕たちは、いつものようにボールを磨いていた。
少しおしゃべりもしていた。
すると田村先輩が入ってきた。
新キャプテンだった。
「ふざけながらボールを磨くとは何事だ!」
怒鳴り声が飛ぶ。
僕たちは横一列に並ばされた。
「歯を食いしばれ!」
そう言うと、田村先輩は全員を平手打ちした。
怒鳴られることはあった。
でも殴られたのは初めてだった。
その中に中川くんがいた。
中学では硬式野球をやっていたらしい。
なぜ野球部へ入らなかったのかは話さなかった。
平手打ちの直後、中川くんは耳を押さえてうずくまった。
鼓膜が破れていた。
それから中川くんは学校を休み、そのまま退学した。
今なら大問題だ。
でも当時は、そういう時代だった。
日大二高のバレー部は弱かった。
本当に弱かった。
公式戦五十連敗。
何年も一回戦を突破できなかった。
しかも同じ支部には強豪校がひしめいていた。
その中には明大中野もあった。
たしか当時の三年生にとっては最後の大会だった。
その試合で、相手チームに川合俊一さんがいた。
「まさか一回戦から日本代表候補が出てくることはないだろう」
そう思っていた。
でもスタメン表に川合さんの名前があった。
結果はもちろんストレート負けだった。
ただ、その試合で森田先輩が一矢報いた。
川合さんのスパイクをブロックした――ことになっている。
実際には指先に少し触れただけだったらしい。
それでも部員たちは大騒ぎだった。
夏合宿は地獄だった。
窓を開けても熱風しか入ってこない。
四十度近くあったと思う。
しかも当時は、
「水を飲むな」
と言われる時代だった。
今では考えられない。
でも当時は誰も疑問に思わなかった。
練習が終わる頃には床が汗で滑る。
ユニフォームは絞れるほど濡れていた。
準備体操。
パス。
スリーマン。
ワンマン。
アタック。
サーブ。
そして筋トレ。
ダッシュ。
バッタ。
肩車。
指立て伏せ。
スクワットジャンプ。
倒立。
覚えているだけでも、それくらいあった。
その中でも一番きつかったのは筋トレだった。
他の運動部の連中が、
「お前ら本当にバレー部か?」
と言うほどだった。
当時のコーチで一番存在感があったのが岩崎さんだった。
日本大学ラグビー部出身である。
筋トレの恐ろしさは内容だけではない。
やり直しがある。
例えば倒立三分。
誰か一人でも落ちる。
すると全員が最初からやり直しになる。
バレーボールは団体競技だった。
一人のミスは全員の責任になる。
それが当たり前だった。
高校二年の夏、野球部が注目され始めた。
夏の甲子園予選を勝ち進んでいたのだ。
四番キャッチャーは相馬勝也さんだった。
後にドラフトで西武ライオンズへ入団し、引退後は一軍コーチになった。
ある日の昼休み。
僕が学食へ向かっていると、
「おーい、盛川!」
と声がした。
見ると三階の窓から大沢先輩が身を乗り出していた。
続いて別の声。
「盛川! パン買ってきてくれー!」
誰だかわからない。
すると大沢先輩が言った。
「相馬だよ!」
相馬さんは五百円玉を投げてよこした。
「パンとジュース頼むな!」
仕方なく買って持っていく。
相馬さんは笑いながら言った。
「おつりはお駄賃な」
正直、使い走りみたいで気は進まなかった。
でも相馬さんは高校球界のスターだった。
その相馬さんが僕の名前を呼び、
最後に「ありがとう」と言ってくれた。
それが嬉しかった。
その相馬さんも、もういない。
二〇一三年、五十歳の若さで亡くなった。
翌年、一九八二年の夏。
日大二高は四年ぶり四回目の甲子園出場を決める。
高木くん。
長尾くん。
宮本くん。
みんな同じクラスだった。
特に長尾くんはレギュラー捕手だった。
その頃、僕たちバレー部は夏合宿の真っ最中だった。
テレビ観戦もできない。
一回戦の相手は福岡大学附属大濠高校。
途中まで負けていた。
ところが悪天候でノーゲームになる。
再試合で勝利。
初戦突破だった。
だが次の相手は池田高校だった。
父の母校でもある。
家でテレビを見れば喧嘩になる。
そう思った僕は新幹線に飛び乗った。
初めての甲子園だった。
広い。
空が大きい。
アルプススタンドは急だった。
灼熱の太陽。
カチ割り氷。
応援団の声。
全部が夢みたいだった。
試合は途中まで日大二高がリードしていた。
「もしかしたら勝てる」
本気でそう思った。
でも悪夢は突然やってくる。
池田高校の石井くんが打った打球がラッキーゾーンへ突き刺さった。
逆転ホームランだった。
あの瞬間の空気を、僕は今でも覚えている。
結局、池田高校はそのまま優勝した。
優勝後、蔦監督は言った。
「一番苦しかったのは日大二高戦だった」
それが少し嬉しかった。
そういえば長尾くんにもらった甲子園の砂は、どこへ行ってしまったのだろう。
夏が終わる頃、僕たち三年生も引退だった。
毎日あれほど苦しかった部活なのに、不思議と少し寂しかった。
終わると、本当に終わってしまう。
あの頃の夏だけが、ずっと終わらない気がしていた。